現実哲学

 現実哲学


著者 宮城彦


 私は居る。私は思考を行い動く。

 私が居る理由は、全てと一つの法則によるのである。

 全ては一つとなり、私が居るのである。

 全てとは、私が全てと一体となっていた始まりへの期待に満ちた喜びであり、これは恍惚感を伴う万全の状態が何処にでも満ちている状態であり、ただ金色の光が全てであったのである。それが一つに集まった私にも、それは思考と身体全てに有る。

 その金色の光が全てであった前は、紀元前3,000年のインド共和国のマハーラーシュトラ州ムンバイとラダック直轄領と、普天間基地内同等インド沿岸警備隊によるその交通手段があったのである。このインド共和国は、その前もその後もその金色の光が全てであり、それが繰り返されているのである。

 この始まりはブッダである。その金色の光が全てである状態の前より居た者はブッダなのである。その全てである金の光だけの状態に悟りとして複数のブッダとその弟子たちが居たのである。そういうことである。

 私と宇宙の境界線は私の身体の最も外側である。

 宇宙は私の思考によって有る。

 宇宙は私の思考の通り有る。

 私の身体は食べ物と飲み物を摂取する。

 私の身体は目は二つ有り、あと一つ感覚を理解する目がその上に有り、歯は十分に有り、鼻の穴は二つあり、五体満足であり、指は五本ずつ有り、性器も肛門等も有る。骨と肉と血が有り、筋肉も肌も毛も有る。これはミケランジェロの通りで有る。思考を行い動く身体はそのようになっている。これは歯だけ修正が可能であり、それを行う者は歯医者である。

 宇宙は私の思考の通りであり、その身体によって、机や椅子やパーソナルコンピューターやインターネットや、実家、家、家族、友達など有るのである。

 これによって金という間に入る道具が有るのである。これは金銭である。これには銀行が有る。これはその者の思考の程度によりそれぞれ備わる。家族や友達や各種物品等もそのようになっている。その思考の程度は、その身体によって良いことを考えるようになっている。その思考の程度によって、その者の宇宙に女が居る。この金と女を守る者がその身体によって武道家に居るのである。その者の宇宙の警備を行う者がその身体によって武道家に居るのである。宇宙は私にとっての私の思考の内容の通りであり、これには女が家族や友達などとして居る。私の同類は居るのであり、別の宇宙に居る。医者は宇宙の修正作業を行う。

私の宇宙はその思考の内容によって国がある。警察という者が国の修正作業を行っている。

歯医者は重要である。歯医者は石川潔である。

全てを想像した神は理論上有り、それは太陽となっており、太陽神ラーである。太陽神ラーは女である。

太陽神ラーの神官に光輝神ルシリスが有り、それは天の父となっており、女である。

天の父は私の身体と思考にイエス・キリストを置いた。そのようになっている。

これによって私も女である。

女は全てその宇宙の思考の通りを自由に行う。

イエス・キリストと女により女性が有る。女性は全てイエス・キリストと同等である。


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